今回のわたしの偉人100人はホンダ創業者、本田宗一郎。
エピソードや名言の多い人で、南青山の本社ビルを新築の際、地震が起きた時に割れたガラスが歩道を歩く人に降りかからないようにと全フロアにバルコニーをつけるよう指示したり、皇居での勲一等端宝章親授式の際に技術者の正装は真っ白なツナギだと言って、その服装で出席し周囲に止められたり、会社の私物化を嫌い身内を入社させず社名に自らの性をつけたことを後悔していた等いろいろありますが、そんな数ある本田宗一郎のエピソードの中でも好きなものは
終戦直後に苦労して買出しをしていた妻の自転車にエンジンをつけたら買出しが楽になるとの思いつきからのオートバイ研究をはじめたというエピソードです。逝去の2日前にさち夫人に「自分を背負って歩いてくれ」と夫人が点滴の管をぶら下げた宗一郎を背負い病院の中を歩くと「満足だった」という言葉を残しこの世を去り、それをのちに聞いた井深大が「これが本田宗一郎の本質であったか」と涙したと言います。
日々進歩していく技術・科学によってわたしたちの生活や環境は便利になっていきます。めまぐるしく変わり行く社会の中で人の心を置き去りにしたことが日々行われたりもしています。本田宗一郎にとってのさち夫人や藤沢武夫との出会い、井深大との親交とその井深大にとっての盛田昭夫と、ある時代の日本の発展を支えたものは人との繋がりでした。そしてどんな時代であれ、やはり根本は人と人とのつながりの中にあると思いたいものです。
「一つの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されないほうがいい」 ―フランツ・ファノン
- 関連記事
-