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快適AV(072)ライフ

快適なオナニーライフを目指した日々の試行錯誤

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わたしの偉人100人 VOL.21

今回の偉人は『沈黙の春』の著者であり、生物学者のレイチェル・カーソン

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アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、『沈黙の春』で農薬で利用されているDDTの危険性を取り上げ、アースデイや1972年の国連人間環境会議のきっかけを作り、人類史上においてはじめて環境問題を取り上げた人。

執筆のきっかけはDDTの散布をしてからいつもやってきていたコマツグミが次々に死んでしまったという、友人オルガーからの手紙で、いっさいの仕事を辞めて途中に癌宣告をうけながらも、農薬禍のデータを全米から集め、これを徹底分析して、そのすべてを綴った『沈黙の春』を書き上げました。そして書き上げられたこの本は当時の大統領であるケネディを動かし、その後の環境保護運動に啓蒙的な役割を果たしました。

またレイチェルは自分の時間がなくなってしまう前に、なんとしても自分が生涯を賭けて感じた「かけがえのないもの」を次世代に残しておく為に、姪の息子にあてる形で綴ったもう1つの本を残しています。

『センス・オブ・ワンダー』と題されたその本はレイチェル自身の言葉によると「神秘さや不思議さに目を見はる感性」のことをいい、この感性はやがて大人になると決まって到来する倦怠と幻滅、あるいは自然の源泉からの乖離や繰り返しにすぎない人工的快感に対する、つねに変わらぬ解毒剤になってくれるものであるとしています。

そのセンス・オブ・ワンダーの大切さを子供たちに、また子供たちをもつ親たちに知らせたかった彼女はその本の締めくくりを93歳で亡くなったスウェーデンの海洋学者オットー・ペテルソンが息子に残した次の言葉を引いて終わらせています。

「死に臨んだとき、わたしの最期の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね」


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(1996/07)
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わたしの偉人100人 VOL.20

今回は詩人で書家の相田みつを

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栃木県足利市に生まれ。書の最高峰のひとつ毎日書道展に1954年から7年連続入選し、1947年の「鄭文公碑臨書」で古典的な書における実力を示す一方、1950年に栃木県芸術祭書道中央展に出品した「宿命」では伝統的な書道界に対する複雑な思いを詩文書の形で吐露。以降、専門家でなければ理解しにくい書のあり方を変えようと、「書」と「詩」の高次元での融合を目指し、あの独特の書体と自らの言葉を書く作風を確立しました。

類似を生みやすい作風と商業的な成功からか、その詩の評価は分かれますが、多くの人が相田の言葉を座右訓にし、受け入れられているという事実は無視できないところです。絵画の世界で完璧な写実をしたピカソがキュビズムに走ったように、相田みつをの初期の書を見るとあの独特の作風に至った必然性を感じます。

有楽町にある相田みつを美術館に行った時、息子の相田一人館長が案内をされているところにたまたま出会ったのですが、父親の芸術家の激しい部分をとったほんとうに包み込まれるような優しさに満ちた人で、対峙し話を聞いているだけで涙ぐんでしまいました。ああいう生き方が出来るんですね。


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わたしの偉人100人 VOL.19

今回は個性派AV男優、山本竜二

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嵐寛壽郎を叔父に持ち、父は大映俳優の佐々木小二郎、祖父は大映京都、宝塚映画の制作主任小林利勝という、芸能の血筋に生まれる。スタートは一般の俳優としてだったが所属事務所が倒産し、他の仕事で食いつなぐうちに偶然しょんべん横丁でピンク映画関係者と知り合い、以降アダルトを中心にAV男優として活躍していくことになります。

その強烈なキャラクターは他の追随を受けず、仕事の中では「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」「極道の妻たち・地獄の道づれ」といった一般映画から「難波金融道 ミナミの帝王」といったVシネマ、「必殺仕事人」「水戸黄門」等のTVドラマ、スピッツやウルフルズのPV、サッポロ一番のCMと幅広い。

そして現在は俳優業の傍ら、中野区大和町で居酒屋『竜ちゃん』を経営しています。


男優 山本竜二男優 山本竜二
(2010/05/19)
山本 竜二

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わたしの偉人100人 VOL.18

今回のわたしの偉人100人はホンダ創業者、本田宗一郎。

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エピソードや名言の多い人で、南青山の本社ビルを新築の際、地震が起きた時に割れたガラスが歩道を歩く人に降りかからないようにと全フロアにバルコニーをつけるよう指示したり、皇居での勲一等端宝章親授式の際に技術者の正装は真っ白なツナギだと言って、その服装で出席し周囲に止められたり、会社の私物化を嫌い身内を入社させず社名に自らの性をつけたことを後悔していた等いろいろありますが、そんな数ある本田宗一郎のエピソードの中でも好きなものは

終戦直後に苦労して買出しをしていた妻の自転車にエンジンをつけたら買出しが楽になるとの思いつきからのオートバイ研究をはじめたというエピソードです。逝去の2日前にさち夫人に「自分を背負って歩いてくれ」と夫人が点滴の管をぶら下げた宗一郎を背負い病院の中を歩くと「満足だった」という言葉を残しこの世を去り、それをのちに聞いた井深大が「これが本田宗一郎の本質であったか」と涙したと言います。

日々進歩していく技術・科学によってわたしたちの生活や環境は便利になっていきます。めまぐるしく変わり行く社会の中で人の心を置き去りにしたことが日々行われたりもしています。本田宗一郎にとってのさち夫人や藤沢武夫との出会い、井深大との親交とその井深大にとっての盛田昭夫と、ある時代の日本の発展を支えたものは人との繋がりでした。そしてどんな時代であれ、やはり根本は人と人とのつながりの中にあると思いたいものです。

「一つの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されないほうがいい」
                                           ―フランツ・ファノン

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わたしの偉人100人vol.17

今回は超人よりも超人だった人間ジェロニモ

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黄金のマスク編での初登場では人間でありながら、悪魔騎士の首領格のサンシャインとの激闘の末の大金星、他のアイドル超人を「先輩」や「さん」付けで呼び、自らを「一番の未熟者」と称して一番下っ端の自分が犠牲になるのは当然と自己犠牲の精神が強い青年。

のちの夢の超人タッグ編ではスーパーマン・ロードの試練を乗り越えて、本物の超人として生まれ変わり、テリーマンとの「ニュー・マシンガンズ」からドクターボンベの助手、キン肉星王位争奪戦とめまぐるしく活躍しました。

作者ゆでたまごは読者に親近感を持ってもらえるようにとその登場の経緯を語り、超人の中に一人の人間を入れ、頑張れば人間でも超人に勝てる物語を描きたかったといいます。

ギャグ漫画からはじまったキン肉マンが正当的なヒーローものから、このジェロニモの登場とともにまた違ったステージに進み、後のケンカマンとロビンマスクとの因縁からのネプチューンマンの誕生とその様相を変えてくるとともに僕らも単純なガキから悩める少年へと大きくなっていったものでした。

キン肉マンは僕らの世代にとっての共通言語であり、ひとつの歴史でした。たくさんの感動がありましたが、何よりもの感動はこの青年があのサンシャインを倒した時、17歳だったということでしょう。



キン肉マン (第36巻) (ジャンプ・コミックス)キン肉マン (第36巻) (ジャンプ・コミックス)
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